tadashiriの日記(仮)

つらそうにしている、人

オール・ユー・ニード・犬・キル

前回までのあらすじ:色々あって金は全然ないが時間だけはある暮らしをしているが、最近習いはじめた太極拳のおかげでどうにか自我を保てているし、人ん家で飼っている野犬も殺して食う。

 

食わない(かわいいから)。

犬や猫は犬とか猫って呼んでも怒らないけど飼い主は怒ることがあるので人間よりかわいい。したがって溺れている人間か犬のどちらかしか助けられない場合、溺れている人間を食うのがよい。

 

長らくはてなブログを更新しない間に、コロナが5類になったりイコライザーがファイナルになったり(観てない)交際相手が複数回替わったりしていて、色々すっとばした間にする話があったような気もする。

しかし僕のTwitterを見ている人は、僕が急に占いの話をするようになったと思ったら、それもやめて(占い自体は続けている)太極拳の話をメインにし始めたので主にその辺りでなんだコイツと思っている(理解に苦しむという人もいるだろう、せいぜい苦しめ!)かもしれない。その辺りの詳細も全部割愛する。

というか飽きたし睡眠薬(アイスソード並に念願である)も飲んでしまったので、太極拳と恋愛ののそれぞれの強みを列挙しこの記事の結びとしたい。(これは全く本当のことだが太極拳で検索するとこの記事が出てくる可能性が生じることについては、普通に申し訳ない気持ちがある)

 

太極拳の強み

・体調がよくなった

・やるほど上達している気がする

・運動神経がめきめきと取り戻されている感じがする(皿を落とさなくなった)

・身一つでできるので暇つぶしに適している

 

恋愛の強み

・キルスコアは太極拳よりたぶん高い

 

 

最近読んでない本のコーナー

 

ブレイディハンターみかこ「ハマーサイドの出現敵〜デスブリテンは遠隔で倒せ〜」

陳寿DOPENESS「パリピ

『花束みたいな恋をした』を観たり

 今日は、といっても厳密には昨日だが(この注釈をされた文章はてなブログから吸い出したら膨大な量になったりしそう)、父と味の素がバキッと効いた町中華を食べ(もたれなくていい店だった)『花束みたいな恋をした』を観て、感想を言い合いながら流れでカラオケに入って、牛タンを食べてから、改札の前で少し話して帰った。寝る時間がでたらめなので、ずうっと寝不足の疲れがあって、帰ってきてどうにかシャワー浴びて、しばらく蒲団でぼーっとして、隣の部屋の母(たまたま帰ってきている日だった)にだけ配慮をして必要に迫られた、ちっとも喜ばしくない自己処理をして、そりゃ寝れるに決まっているだろう、と思いながら寝て、その四時間後に目が覚めた。寝る前から全身筋肉痛のような疲れが残っていて、眠さだけなんとなく消えてしまった。またしても自律神経の問題なんだろうな、とあきらめのように思う。

 『花束みたいな恋をした』よかったと思う。何かを言いたいが、言語化が追いつかない。ほとんど箇条書きみたいな感想を書くことになるだろうし、今日みたいな体調の時はスイッチの切り方がわからないのか頭だけは明瞭で(発達したのか?とすら思うが一過性のものだと思う)、ぐちゃぐちゃと自分にしかわからない冗談を書きなぐることがむしろできない。

Twitterみたいな映画だな、と思ったり、押井守とかきのこ帝国で笑い転げそうになるのを我慢したりした。同棲しているところが、なんかシットコムみたいな部屋だな(ちっとも住みたくないな)、とかも思った。ずっと白々しいカリカチュアが緩急ありつつも張り巡らされていて、表向きにはすごく「寓話的でしょう?」と言ってくる(そして寓話的であることにふいに細かい楔が打たれ、それでもあまり、打破されない)映画だった。なんだか「感情を込めないで歌った方が聞き手が泣く」みたいなことだなーと思いながら、クライマックスでは自分の恋愛を思い出してちゃんと泣いた。(最近Amazon Musicでジル・ド・レェを見つけた時、元恋人との会話に出てきたような気がして、久々に話したくなったな、とか思った)(でも、その時も聞き流してしまっていたんだろうけど)(眠いなあ)(ほかにもいろいろと書くことがある日だったけど)(でも、眠いなあ)寝る。

学び(叩きのめすぞremix)

 人に気力がある様子、気力があるようでなによりだと思う、気力があってさらにやっていっている様子はなおのことなによりだと思う、思うがだいたい刺さってつらいというか、他人がやっている俺はなんだかんだ酒を飲んだり自炊をするばかりであるという状態がつらいという感情が久々に蘇ってきてつらい。苦しむ気力がない代わりにAPEXやペルソナ5をそういうbotのように遊んでいた時期の凪のような心はほんとうに気楽だったが、それもほんじつ友人と出歩いて足が疲れたので飲酒をしたらおしまいになった。暴食をするほど酒を飲むなという気持ちがあるがこれはもう一生治らないかその前に一滴も飲めなくなるような気がするし、家でぶっ倒れるように寝たんだけどこういう時間に目を覚ましてだいたい具合が最悪、頭痛がするし俺はソルジャーではなかったんだなという気持ちになってきてすべてが終わる。あとこれはTwitterに書いたばっかりのことなんだけど、それなりに気力がある状態(気力がない状態で他人がやっていく様子を見てつらいと思ったりはしないものであるので、今は気力はある状態である)でのあらゆる(コミュニケーションに関する)意欲にたいしてリアルでの繋がりの量が一切追いついていないなという感じがあり、だがなんというか向こう数年はきちんと知人を増やす活動をしてこなかったし、数か月前までは実際に頻繁に話す人間たちの他には全てほんとのところどうでもいいのではないか?と思っていたような気がする(その頃は実際にそうだったと思う)。あと最近は緊急事態宣言のおかげで恋人(いい加減”パートナー”とか言ってみたいんだけど言ってみるとこれが妙に恥ずかしい)がうちに遊びにこないので、定期的に恋人が遊びに来てたことで抑えられていた何かしらみたいなものが普通に頭をもたげてきているのはあると思う、というかおのれコロナめみたいなこと言うの嫌いで何でって多分コロナより結局のところ人間がクソに決まっているしコロナによって生じるどのようなファシズムについても俺ははじかれるような気すらしているからなんだけどそれにしてもなんなんだコロナ禍最後までコロナは俺にはあんまり影響ないみたいな面をしていたかったわめちゃくちゃ影響あるやんけ、あと恋人の両親に基礎疾患マジでやめろ(マジでやめろ)。ハー、物書き向けのDiscordとか探して入ったらいいんか、だいたい今月の進捗はてなに鬱日記書いただけの奴が許されるのかそういうのって(鬱日記太郎が許されるようなゆるいコミュニティが研鑽と創意に好影響を与えることが何かあんのかっていうとない気がする、しませんか)。あと書くことないしもうUPするかと思って読み返したが括弧の使い方めちゃくちゃすぎんかこいついや内心よくやってると思ってる思ってなきゃ(こんなに楽しく漫才やってねえだろと思ったそこのあなた(例えば、わたし)→14に行け)消してる。あとこの日記ように人が確信犯的に書いているものについて「療養をしろ」「薬を飲め」と指摘してこないでほしい、こういうことを書いている時点でインターネットの人間を信用していない、匿名に指摘を受けたことないからフォロワーを疑っている疑ってごめんと思うが謝ってもしょうがない疑っているんだから。こう思っているしこういうことを言うから人が逃げていく、学びですね。

中指は起点である

殴り合いのではない。僕のいい加減なタイピングの、である。僕含め、どこかで習ったわけではなく何となくでキーボードを打つ人間は、人差し指で押せばよいものをわざわざ中指で押したりする、単によく動く指で大半を賄ってしまう。それなのに、昨日色々あって両中指にあかぎれができた。その状態で何かを書こうとすると、あざやかに痛くて、何を書こうとしたか忘れる。

だからひどい内容になりますよ、とでも言いたげな書きぶりになってしまったが、これを読んでいる人のなかで、内容のひどさを気にする人はほぼいないだろうし、気にされて胸を張れるようなものを書いたこともあまりない。であれば、こういった前置きから文章を書き始めるのは無駄なことのような気がするが、注意深い読者がいない以上、無駄なことをいくらでも書いていいということでもある。

その手始めに「リバあり、オメガバースあり、攻め複根(フラクタル型)注意」などと無闇に注意書きしてみてもいいが、読み手が自分のパソコンを石油ストーブで焼こうが、ディスプレイ上にペニスがロマネスコ状になった男性が炙り出てくることはないし、そういった”ない地雷”についてのアイデアを練っていたら気分が悪くなってきた。

結局のところ、僕は散文を書く際に「何をやっているんだろう」と思わないと書き始められないたちであるという、ただそれだけのことだ。許してほしい。

 

用事で昼過ぎに出かけ、別段苦労のある用事でないのもあって、帰り道何となく繁華街を通り、まんまと酒を飲んでしまう。日々そうやって、踊らされると踊るの間で生きている。生きていると(酒を飲むのをそのように書いてしまったら終わりである)色々なことがある。自分の親ぐらいの歳の男に、装甲騎兵ボトムズ』や『機動戦士ガンダムSEEDについて管をまかれるとか。

自虐を交えてされる長話を楽しみつつも辟易し、若輩なりにですがなどとはにかんで無知をごまかしていると、グラスの中身は減らず、灰皿の中身だけが積もっていく。こういった人を嫌いではないけれどと思いつつ、段々気がそぞろになる。「俺もいずれこうなる」そう思ったら、ようやっとグラスを傾ける。ふいに現れた不安を酒で散らす、散らないし、どちらかというと「ここで不安になったら面白いのではないか」と思っている、一種のプレイだ。ただ、未来は不安ではないと言い切ったところで、それは祈りにもならない。鬼は笑わない、黙ってこちらを見ている。

プレイ、演技、気取り、かぶれ、そういうものについて考えていて、思い出したことだ。『無能の人のどれかに「私小説作家の生活演技」とかいう言葉が出てきたのを読んだことがある。すごい言葉だ、書き手が無意味にふて腐れるためだけに生じた言葉のような感じがする。「結局ワンチャン狙い」「承認欲求の強いオタク」より空虚な感じがする。よくこんな空虚な言葉を昔の人は思いつくものだと思う(きみは因果関係が逆だメーン、とD.O.が言うところを思い浮かべる。サイコロを一つ振って、出た目の半分の気力点を減らせ)。

こういう日を何もなかった日と言ってもいいが、そうすると何も書くことなどなくなってしまう。再度の願いになるが、無力を許してほしい。僕はもう許したから。

 

※あとで読んだが良くなかったので、12月21日に加筆修正をしました。

近況

 コロナ爆増で自宅でぐったりしていたので、気分転換がてらちょっとのバイトをすることになったり、あととにかく睡眠が不規則になってしまい体調がめちゃくちゃになっています。一日の半分くらい頭痛がする。それぐらいしかいうことがない。とりあえず、バイトの時間そのものは長くないので、寝れなくてもどうにかなる気はする。

 で、これは頭痛の弊害なんだけど、文章を書いたり読んだりすることがいまいちできない感じがある、そんで何しているかというとFTLを狂ったようにやっている、それでもクリアはおろかスコアが2000いかないんで頭を休ませた方がいいのかもしれない。コーヒーの飲みすぎの疑惑もあるんで、ここ数日はとりあえず1日1杯以内に抑えている。

 ちなみに今これを打ってたら、シフトキーが外れた。PS4コントローラーも不調である。そういう時期もあると、PTAの映画で観た。

近況など

 先日の日記に近況を一切書かなかったので、今書く。

 1月に失業してから、もう一度派遣社員になった。結局参ってしまって、2か月前くらいに再度失業。恋人は大変有難いことに(大変ありがたいことだよ)その間にできた。

心療内科にかかるようになったので、失業してあまり待たずに失業手当をもらえる身分になったが、まだ入ってきていないので、とにもかくにもお金がない。もうすぐ出るのでなんとかなります。

 でもまあ、失業手当が出ていない間とにかくお金がない。ので、最近は食事も露骨に鶏卵と米ばかり食べている。天津飯とかオムライスとか。なんだかんだで玉葱と一通りの調味料はある。天津飯はすごい、卵が二つ無くなることに目をつぶれば、無から有が生じている気すらする。心療内科に通っていると言ったが、僕は発達障害の気があり、自律神経があまりよくないので、天候などによって動けなくなったり、動けないと何かしら食べてしまって、食後高血糖で一日中寝ていたりする。そういった状態に恋人は寛容で、遠くても話相手になってくれる。大変ありがたいが、通話をしているとゲームぐらいしか捗らないという欠点がある(だいたい声をかける側なので申し訳ないと思う)。洗い物とゴミ出しはしばしば溜まる。さすがに一人分なので、二、三日動けなくても致命的にはならないが。

 

 そういった状況なので、酒はめったに飲まなかったんだけど(禁煙はうまくいっていない)、昨日は奢られが生じたので久々に飲酒をした。そのせいかあまり眠れず、今日は早起きせざるを得なかった。おかげで洗濯などが捗っており、大変助かっている。

 寝不足で食欲もあまりなく、朝昼と小食で、これも健康の面ではとても助かる。床に少し横になったおかげで、頭もそれなりにはっきりしている。恋人は心置きなくポケモンDLCで遊んでいるので、こちらもこうやってブログを書いたりしている。

 

 なんというか要するに、今日は僕にしてはとても珍しく背筋の通った一日になっている。今のところ。

 めいっぱい暇で、だいたいゲームをしていると過ぎる。活字はネットでしか読んでいない、紙の本はおおむね横書きじゃないし、『ヘイスタック・カルホーン』のトピックだけつまみ食いするのも難しい。

 昼夜が逆転し、夕方と深夜と早朝に食事をする生活。夕方から深夜は何かしら食べているかゲームをしている。気が引けて早朝まで起きていると腹が減って何かを食べる。

 ワープロ的なものに向き合うのが兎に角きらいで、紙のノートは気が楽だなと思う。どちらも中途半端にやるせいで、ほとんどは二度と読み返すことはない。この文章の頭200文字だけは唯一紙のノートに書いたものが基になっている。ただそれ以外はEvernoteと紙のノートに同じくらいの量無意味な思いつきがあって、あるという事実だけが死蔵されていく。死蔵されるために書かれた文章、文章を死蔵するために生まれた人。

 死蔵世界解釈SFの主人公であれば、繰り返される死蔵の運命から逃れるのが顛末だろうから、Evernoteのメモを掘り起こしてみる、そのうちいくつかが何かに使われて、主人公は死蔵の運命を回避するというのがこの後の流れである。いくつか掘り起こしてみたところ「映画『JOKER』について」「『あいちトリエンナーレ』について」「金がない」「クソ」などのトピックがあるが、中身を読むとどれもみな「大人しく死蔵しておいてくれ」と書かれている。いくつかのファイルを処分して、少なくとも死蔵だけは回避したということにする。はたと気付く、「大人しく死蔵しておいてくれ」これは画面に映っているが、出力されたテキストではない、「大人しく死蔵しておいてくれ」それは画面を覗き込んでいる俺の顔面に書いてある。そうだおれは死蔵人間だったのだ。