tadashiriの日記(仮)

つらそうにしている、人

無職期間(終了未定)

 タイトルの通り過ごしている。まあアルバイトでもすりゃいいんだけど。まあなんかやっぱりこういう時期はズルズル過ごしてしまう。安定して12時には起きることができているので、ここを最低防衛ラインとしたいと思いつつ、昨日飲み過ぎたからか、今朝は腹を壊してしまい、まともに動けるようになったのは13時半ぐらい。

 最近はカレー粉でカレーを作ったりした。ルーが足りなかったので小麦粉炒めてカレーに足した時の大丈夫かこれ感が個人的なハイライト。あとコンソメ入れるの忘れて後から足したけど物足りないので、中濃ソースを入れたらそれっぽくなったので日頃われわれは中濃ソースを食べているんじゃないかと思った。(そんなわけない)

 あと昨日はこっさり(天下一品の裏メニュー。こってりとあっさりの間。たまに普通にメニューに載ってる。牛丼つゆだく並みにどこでもできる)を初めて食べた。ふだんこってりしか食べないので、まず麺の表面がザラザラしていないことに驚いた。もちろん天下一品のザラザラはこってりスープのザラザラなのはわかってはいるのだが、にしてもあんなに麺がつるつるしているとは思わなかった。あとこっさりスープに関してはなんかこう、京都でああいうの食ったなあと思いだすような味だった。なんかこう、鶏と野菜からくる甘味が優しく、飲みの〆にしみる感じのスープだった(麺のコシはやや飲みの〆には強い気もするが)。

 ブログ書くの飽きた。出かけてくる。

労働者と酒

 何ということもないのだけど、勉強や求人情報の検索をするモチベーションもないので何か書く。

 風邪をひいてから外で酒を飲むことが減った。飲まなくなったわけではなく、家にあるマリーボーンとかいう安ウイスキーソーダ割りとか、こないだ気がついたら手に取っていたキャプテンモルガンにアマレットを少量浮かべて飲んだりとかしている。

 キャプテンモルガンはロックで飲む想定で買ったのだが、強気の甘さが欲しい時にはあのバニラフレーバーだけでは物足りないことがわかり、だいたいいつもアマレットを浮かべて飲むようになった。とりあえず足しておけばゴッド何かという感じのものになるのでアマレットは便利。ベイリーズとかの方が消費速度ははやい。

 仕事が忙しかったので疲れた。寝る。この仕事ももう少しやったら終わりなので、そろそろ新しい仕事を見つけなきゃならない。あと明日は午前中に髪を切りたい。なおのこと寝る。

風邪

 風邪をひきました。

 もともと最近喉いてえなーと思ってはいた(花粉のせいです)んですが、昨日(3/16金曜日のことです)ツイッターの人と飯を食って出たあたりでこれ熱ねえ?という感じになってきて、帰ってとりあえず水飲んでは寝てを繰り返し、今日の夕方ごろにはカレーを食いにおんもに出られるだけの体調を取り戻すことができました。しかしちょっと完食がつらかったりしました(ハンバーグオムカレーなんか食うのが悪いという話もあります)。あとなにより喉の痛みが引かない。っていうか全然声が出ないんですねこれが。

 もともとおしゃべりで落ち着きがなく家だと歌いながら過ごしているタイプなので、声が出ないと出口がいっこ塞がれてる感じで、とてもつらい。まあ睡魔が結構ちゃんと来てくれるので、寝てやりすごせばいいんですけど。

 最近またブログの更新が滞っていますが、本も映画もほとんど触れていないので仕方ない。本よりも映画よりもお酒を飲んでも減らない財布が欲しいみたいなコンディションになっていてたいへんよくない。あとロブスターを手づかみで食べるやつをしたり、もうやんカレーを飲み屋利用したりしたい。

 今日はリイドカフェで黄島点心の『円盤』を読みました(本当にそれぐらいしか何かした感じがない)。ざっくりと星新一の『午後の恐竜』を思い出すような感じのストーリーですが、めちゃめちゃ面白かった。今ならタダですんでどうぞ読んでください。

そのうちウギャーってなって消す気がする

 しばらくない三連休を半ば自傷行為に近い食っちゃ寝の暴飲暴食に費やし、それが明けたところの三連勤の一日目をとりあえず終えた。どうしようもないぐらい金がないのに、ある地域のバーについて尋ねてみるために一杯だけ行きつけで酒を飲んだ。マスターにその話題を持ち出すことはもちろんバーに行ってよいと思うための言い訳ではあるのだが、この程度なら言い訳は言い訳であっていいと思った。陸に溺れながらなんとか生きている心地なので、極力自分を追い込んだり、意識的に反省しようとしてみたりしないようにしている。

 今日は『スプートニクの恋人』を読み終えた。実に数年越しの積ン読である。面白かったけど、なんていうか、うまく言葉にならない。うまく言葉にならないこと自体、もっとも安易なかたちで自分が作品世界に絡めとられたようで癪なので、これから外堀を延々と埋めていく。つまり、堂々と作品に絡めとられたことを、手足を遮二無二振り回すことで表現しようというのである。また、その外堀埋めがいわゆる本質やらなんやらに近づく手掛かりになるかというと全くならないと思うとは言っておく、そもそも2018年になって『スプートニクの恋人』の本質に近づこうとする行為を誰かが面白がってくれると全く思えないではあるし、そういうのがすでにめちゃくちゃあって、それを読んでから書いた方が僕がこれからかく恥も半減するだろうとは思う。ただ絡めとられたものとして、素面にかえって何も書けなくなる前に、あらゆる読み手をキモくする作家であるところの村上春樹作品によってキモくなった様を晒したい、積極的に黒歴史を量産したい、そういう気持ちになったといえば、いつかめっちゃキモくなったことがある方ならわかってもらえると思う。いや、めちゃくちゃ恥ずかしい文章を書くことにおける救いは、わかってもらうことの他にないのだから、誰かわかってくれないとこまる。(わかりますと言われても困るかもしれないが)

 前置きが長くなってしまったうえでそろそろ本題に入ると言いたいところだけど、前置きが一番僕の共感されたいところになることは、まだ書いてる途中だけどわかりきっている。だって本題といいつつ外堀を埋めるだけだし。

 集中するまで、集中してもなお、僕はとにかく比較によって作品を鑑賞するくせがある。常に脳の中に地図を作ろうとするくせというか、一種の思考の省略だと思う。実際には地図というより玉子スープみたいに、かき混ぜるたびに形を変える、意味をなさないものだとは思うけど。そこまで自虐的に言っておいて、僕は『スプートニクの恋人』を読んだ最中や、シティ・ポップといわれるような曲を聴くときに、ウイスキーでいう”スムースさ”に近いものさしを持ち出す。それは言い換えると”耽溺しやすさ”とも思えるし”ホスピタリティ”だとも思える。もっと具体的に言うと、ちょっとぎょっとするほどお洒落でないような、美意識の決定的な欠落のようなところ、そういうのがないことだ。そういう意味ではそもそも「ミュウ」って!と思わなくもなかったし、どうしても「フェルディナンド」って!とは思った。あと、”チノパン”ですら”チノ・パンツ”と村上春樹化されているのにはちょっと笑ってしまった。ただ、「すみれ」と「ミュウ」と「ぼく」と並べてみると、やっぱり妙に収まりがよく感じるから、すごいなあと思う。

 あと、「すみれ」の書いた「文書1」の語尾は、『蒲団』のパロディなのかな、と思った。だとしたら、『蒲団』の主人公は実在し、「すみれ」は実在しないが、後者の懊悩の方が切実に思った。それは『スプートニクの恋人』側というよりは『蒲団』側の問題である。なんだろう、おそらく『蒲団』を読んだときに、「これが真に迫るってことなんですよ」とニヤついてるおっさんの顔がどうやっても浮かんでしまうから。いや、村上春樹もそう思いながら書いてるような気はするのだが。

 あと、「すみれ」のほとんど悪辣なパロディのような美大生や文学少女について思い起こしたら、猛烈な吐き気を催した。(この一文に分かりが発生する人はとっくに吐いてるかこの一文に辿り着けていないと思う)(ちなみにこういうのを「カリオストロ問題」「カリオストロのパクリ問題」と言ったりする)

 すげー疲れた。寝る。

 

 

 最近読んだもの

村上春樹スプートニクの恋人

読書録とパク・チャヌクって似てるわね

 ここ二週間ぐらい本当に(何らかの)職場と家の行き来をしているだけなので、これから人と会うことになっている。といっても僕の家の周囲でだが。まあなんだろう、こう最近主にこればかりやっているというのを崩してみるのが生活のマンネリ感を解消するコツではないかと思い(といっても読書もゲームも減らしたりするつもりはないのだが)(あとラジオも)、今日は久々に映画を観る(dvdだが)つもり。あと、なんだろう、久々に小説等の物語創作をやりたい気持ちがあり、これに脳みそが追いついたらやるつもり。

 というとこまで書いて書くことがもうあんまりない。最近飲み歩く金がないので、せめておいしい酒をと思い海外の瓶ビールを飲みながら帰ることがある。栓抜きを持ち歩いてないので、(そんなもん持ち歩く気にはならないし、十徳ナイフを持ち歩くのはこわいのである)毎回ちょっとケガする。大人しくヤッホーブルーイングの缶ビールでも飲んだらいいのではという話ではあるが、それやると『インドの青鬼』ばかり飲んでしまう。それで、特においしいイメージもなかった『レーベンブロイ』を飲んだら意外と青い味というかフレッシュな爽やかさがあってよかった。そんな感じです。

 とりあえず友人を迎えに行ってきます。その前に髪も切らないといけない。

 

 

 最近読んだもの

 

 『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』島田荘司

 大英帝国留学時代の夏目漱石(当時は金之助だが)とシャーロック・ホームズには交流があったのでは?という本格ミステリ小説。面白かった。僕は本格ミステリを真剣に解いたことがないという意味で非ミステリものなのだけど、それでもかなりよかった。当時の倫敦という街は、読者にとって冒険なのだが、それは夏目にとってもそうなのである。その視点の一致による面白さと、それでも夏目の偏屈さにユーモラスな相容れなさを感じたり、そういう楽しみがある小説。

また読書録とかask.fmのはっつけとか

 こないだ『マジカル・ガール』を観て、そりゃもう、めちゃくちゃおもしろかったんだけど、それで燃え尽きたってわけでもないんだけど、それ以来一切映画を観ていない。なんかこう、観たいなと思いつつ二時間ラジオ聴くんとワケがちゃうぞとなってなんか億劫で....…みたいないつもの感じなので、自然とすげー観たい映画が出てきたら観ればいいかなと思っている。

 『マジカル・ガール』は何を書いてもネタバレになるんだけど、ノワール映画が好きな人は是非どうぞ。(香港ノワール的なホモソーシャルとかはないですよ)

 

 

 ところで、今日は更新の手間(一から考えて書く面倒くささ)を抑えつつほどほどの尺のブログを書くことをやっていこうぜ、というコンセプトでやっており、その一環としてツイッターでした話をそのまま持ってくるんだけど、こないだカメントツ氏の『こぐまのケーキ屋さん』の話をしたらフォロワーからのウケがちょっとよかった。

 

 で、まあカメントツ氏の他の漫画は好きですよというのは再三言っておくし

 

 直後にこういう発言もしている(改めて見ると僕めっちゃ偉そうなこと言ってねって感じしてきたのでつらい)のはわかってほしいと思いつつ、AVの例えは結構自分でも気に入っている。まあでもいつ頃かまで腐女子の人たちが「部屋の観葉植物になったつもりで読んでる」みたいなことを言ってたのと同じあれではとも思う。

 

 

 それと、こないだこういうことがあってこういうのがask.fmに寄せられたので答えました。答えた時点では満足感があったのと、その割に反響がないので読んでください。

ask.fm

 結果的に僕のろくでもない思い出がフラッシュバックされてつらい。それとまあ、いつものように読書録を書きます。

 

 

 

 

最近読んだもの

 

『哲子の部屋 Ⅰ~Ⅲ』NHK『哲子の部屋』制作班(Ⅰ、Ⅱ監修:國分功一郎、Ⅲ監修:千葉雅也) 

 なんだろう、わかっていく過程を読ませる本でありながらも、僕のような「哲学とかなんとなく興味はあるし、こうじゃね?こうじゃね?と考えたりはしているのだけど、体系的な学びが全然できていない人」の頭のなかにかきたま汁状にある漠然としたものを整理してくれる感じのする本だった。

 

『文学の読み方』さやわか

 二度目だがなんとなく(他にもいろいろあるのに)読んでしまった。ロジック自体のお役立ち感はもちろん良いんだけど、二度読むと改めて昔の人の当てになるようでならない感じが面白い。

 

薬指の標本小川洋子

 表題作のみ読了。ある人がめちゃくちゃ好きらしいので読んだ。なんかまあ、ファンタジーとも、作品自体がでかいpoemであるとも言えると思うんだけど、poemとしては僕はもっと漠然とした、散漫なものの方が好みである。綺麗でうまいと思うが、登場人物の行動が予定調和に即しすぎているように見える。やや駄肉と一緒にディテールを削いでしまっているからなのでは?と思う感じ。ある人のお気に入りなのはなんとなくわかる。

 

『ポエムに万歳!』小田嶋隆

『新しい分かり方』佐藤雅彦

 少し前に読み終わってから、若干忘れてしまっているので、まとめて読みましたよというだけのお焚き上げゾーン行き。

 

 

今読んでいるもの

 

 『気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている』村瀬秀信

 講談調というか、ゴシップ誌調というかという感じの文体や、過剰な例えがやや苦手。

 

 『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』島田荘司

 ルビ版があったので、持ってるけど買ってしまった。まだほぼ読んでない。

読書録など

 書くことが苦手だなあと思う。というか、書くぞという気分のときに何かがするすると書けることがめちゃめちゃ少ない気がする。で、まあ別にこれの理由はある程度わかっていて、なんか言いたいことがある時にはツイッターに書いちゃうから、結果ブログ書こうという時には書くことねーなって感じになる。で、まあそのせいだなーと思って、じゃあツイッターに書いたことをまとめてブログに書くつもりで読み返すと、何やこいつ結局何言いたいんじゃってなる。それで、まあどうにかしたいですねというだけで、この話も勿論着地点が全然ない。

 

 なんだろう、結論をある程度用意しながら話せるけれど、そのように結論を用意して文章を書くというのがむずかしい。思考、声でするものだろうという思いがある。もうなんだろう、音声入力で文字に起こしてもらった方がいいんじゃないかという気がしてきた。

 で、気がしてきたついでにGoogle音声入力を使って文章を書いてみたのだが、イマイチしっくりこない。そもそもそんなに使いこなしてない(使い込みのいるツールという感じもしないけれど)のはあるだろうが、それ以上に喋りたいことを喋るついでにオンにしておくのがいいのであって、あーこないだ語りたかったアレを語ろう、という使い方をするとちょっと気が乗りきらない。まあでもそれなりに便利であろうことはわかったので、今度ツイキャスでもするときに導入してみようと思う。

 

 

 

 ここまで書いた時点でめちゃめちゃ眠いんだけど、前からなんか見たかった『トレジャーハンター・クミコ』を観たので、一応感想を書いておく。

 で、結論からいうと、そこまで期待してなかったけど別にそんなに面白くなかったという感じ。なんかこう、ウルヴァリンやくざ映画ほどではないが勘違い日本が出てきて、デフォルメの効いた異常な日本人女が出てきた。で、まあ話は『妄執に取りつかれた人が、むちゃくちゃな方向に突き進んで幸せな夢を見ながら死ぬ』という高校生がよく考える感じのやつなんだけど。あんまり楽しくないし、偏屈な日本人女のフェチを作り手がひたすら吐露するみたいな内容なのに日本人から見たらさすがにかわいく感じられないデフォルメの方向だったりもする(演技のデフォルメもそうだがなにより行動の極端さがすごい)。ただ、「架空の宝を追いかける女」に実際と大きく異なる日本を思い描く作り手のマインドが乗っている感じはわかるし、なんとなく賛同したい気もする、でもやっぱりかな~りどうでもいいと思ってしまった一本だった。

 

 あと、まあいい加減ねようという感じではあるんですけど、一応読書録だけ処理して寝ます。

 

 最近読んだもの

 

 サン=テグジュペリ 大久保ゆう訳『あのときの王子くん』(青空文庫) 

図書カード:あのときの王子くん

人に薦められた(読んで感想を聞かせてくれと言われた)ので読んだ。訳文の児童文学っぽいオーバーな文体が好みでないとか、寓話的なわりにはかっちりした作りに思えないとか、メッセージのブレンド具合が好みでないとかがあり、とりあえず小説としてはあんまり楽しめなかった。でも登場人物を通して描かれている社会の中の人物が、当時の実社会ではどうなのかとか、あとまあサン=テグジュペリの人物像に興味を持ったりとか、そういう観点では楽しめた。(一部ストーリーに納得しがたいとか、そういうのは色々あるのだが、書いてくれと言われない限りめんどうなので割愛する)

 

 今読んでいるもの

 佐藤雅彦『新しい分かり方』

 随筆部分の序盤まで読了。二つの似た写真の間を脳が補完したり、複数の写真から法則を見つけたり、そういう脳の挙動を実際に写真やイラストで実践的に説明してくれる感じの本。実際にイラスト上に指先を置いてみたりして楽しむ本になっていて、読んでいるとマテリアルとしての本というものを意識させられたり、また単純にしてやられたりする。グスタフ王のくだりはちょっとうますぎて悔しさすらあった。

 

 

 

 疲れた無理寝ます。

(ここまで書いて本当に寝た