tadashiriの日記(仮)

つらそうにしている、人

お洗濯してきます

 なんだかんだゲームをしたりと茫洋と過ごしているうちに夕方は5時を回ってしまい、今更洗濯機を動かしたので今はなおのこと外出がむずかしい。そんでもって他にすることがない(あるとしてもどれ一つとして有意義に思えない)ため、こうしてブログを書いている。

 べつにブログを書いていることが特別有意義なことと思えているわけでは全くないし、ブログを書いているという事実が自分の感じている退屈の証人であるようにも思えてなんだか悲しいんだけど、書いている間は(少なくともハースストーンよりは)変な不安にさいなまれたりしない分少しだけましな気がする。

 昨日はお酒を飲んだり映画を観たりして楽しかったけど、そのこと自体一人でいると「一人でいないことと酒を飲むことによってしか余暇を楽しめない」と自分に告げているようにも思えてくるのだった。(これでは何だか昨日遊んだ友人たちにも申し訳ない)

 まだ無料期間なのにもう三か月後の利用料の元が取りたいと思っているのか、AppleMusicで佐藤理の『LSD REVAMPED』を聞きながら今これを書いている。アルバムが出た時に結構話題になっていて、僕は『LSD』は未プレイなので(あれこそ茫洋極まるというか、僕が熱中するゲームではないような感じがする)当時アップロードされた『Funky Solution 2018』以外は全然耳馴染みがなくて、そのためむしろ書くことに集中できていい。

 つまり、今日はなんか多分そんなに聞きたい音楽がないような気分なんだと思う。起き抜けになんでもいいからかけようと思って、Tokyo.FMをかけたら木村拓哉のラジオで、これはどうでもいいなりに快適だったけど、その後の高速バス関連の番組は聞いているのがつらかったし(そもそも就職などせずに天から降ってきたり毎日家の前で倒れてるドバイの金持ちの財布に入っていたりするお金で旅をして過ごしたいので、あんまり高速バスのCMなど聞きたくはないため)、inter.FMをかけたらシアターブルックの人が生ライブをしてて、これはパーソナリティがうざかったしシアターブルックの人はもっとうざかった。TVerでゴッドタン観たらこれは完全に情報過多だったし、まあとにかくぼーっとしていて、自分の気分を把握するのが全然うまくいかない日だった。だからこそ、他の人にかまってもらったり酒とかの合法ドラッグで気分を変えたりしたいんだろうと思う。

 暗い日記を書いていたら、洗濯機がとっくに止まっている。ラジオもテレビもニコニコ動画も観ないで、干しっぱなしで畳んでない洗濯物を畳んでしまえばよかったと思う。まあ、おそらくは疲れているであろう自分にそんな合理的な行動を要求するのも酷か……。

起きる時間が決まっているのは何故

 最近就職をした。それなので、わりと帰りながらめそめそ泣いている日が多いのだけど、今日はわりと元気がある方の日なので、ブログを書く。仕事もおおむねキーボードをはじいたりしているので、これはサービス残業みたいなもんだと思う。

 実際仕事をしてても給料が上がりそうな感じもしないので、仕事よりやりがいがあるのではという気もする。でも結局ツイッターのフォロワーぐらいしか読んでないっぽいんだけど。まあ人生に徒労でないときはないので……。

 

 それで、まあ仕事のことをしてもしょうがないというか、なんかうまいことやってサクセスするしかなさが無職の頃と変わっていないような気がするんで、また相変わらず何らかのメシや遊びの話をする。

 それで、最近Apple Musicに入ったので主にハースストーンをやりながら何か聴くのが朝と夜の日課となっている。Maison book girlの『bath room』、No Lie-Senseの『First Suicide Note』が最近のお気に入り。自分の知識の範囲で興味はあるけど聴いてこなかったものを聴くのも限度があるので、人のプレイリストを見たりとかをもっとしたい。KKBOXとかはそういう機能あるんでは?という気もする。でも音楽ストリーミングサービスを比較してみようという気もしない。やるならAmazonプライムに入って他全部やめるとかだと思う。

 それで家に帰ると、なんとなくテレビを見て寝ている。だいたい帰りに一杯やったり、帰ってから人にもらったスコッチを飲んだりしているので、余計なにもする気がしない。我ながらつくづく趣味らしい趣味がないよなと思う。

 あと、最近親戚とかそういうあれで栃木に行ってきて、それはそれで楽しかったんだけど、それはそうとまた旅行に行きたい感がある。三連休もあることだし、まあ多分、あると思うし……。

 

前にツイッターでも貼ったが、この曲をよく聴いてた時期があったことを記録しておきたいような気持ちになったので貼っておく。

 今日は友人が家に来た。それで、ボードゲームをいくつかやった。いくつかというか、主に一個でかいのを繰り返しやる合間に別のをやっていた。それで、そのでかいのが『フルーツジュース』といいます。五種類の果物の絵柄のカードを手札にためて、レシピ通りにまとめて使うとジュースができる。それを先に四本分作ると勝ち。

 これだけ聞くとありがちなんだけど、果物カードを手に入れるためのルールがプレイが進むたびに循環していき、しかもそれが勝敗が決しても元に戻さないところがこのゲームの特長で、つまり、複数回プレイするとルールがどんどん変わっていく。普通、ルールの底が見えたところでゲームに飽きることが多い(特にボードゲームに関しては)のだが、これはルールが一つのゲームにすごい入ってるので、長く噛んでられる感じなのがうれしい。

 あと『王宮のささやき』というゲームもやった。例えるなら積極的なババ抜きという感じ。手札を空にしても上がれるが、他のプレイヤーを追い詰めても上がれる。ボードゲームに明るい人なら『ラブレター』や『犯人は踊る』を少し複雑にしたゲームといえば伝わる気がする。それでもババ抜き系のブラフ・ゲームだけあって、気軽でテンポの早いゲーム。麻雀の上り牌を読む動きにも似てる。アドルングだと、『いろんなもの』『manimal』『Tuareg』辺りの方が好きだけど、別にそこそこ面白い。

 なんか他に名前を聞かなかったゲームとかもやったけれど、めんどうなので割愛する。興味持たれても調べようがないし。あと半日丸々ボードゲームなので脳が疲れている。スナック菓子を食べ過ぎたのでサラダを食べようか迷う。ゆで卵も食べたら丁度良いと思う。それから、『パターソン』垂れ流して寝る。

モテる夢が見たいのでそういうおまじないをかけてください

 時折り人と会ってくると過集中が爆発して完全にうざいくらい話してしまうんだけど、今日は人と会ってきた(そしてすごくそうなった)。でもそこから書くと収まりが悪いので、そこまでの流れで書く。僕がうざいくらい話すのは普通のことなので、別にそこが山場ってわけでもない。

 まず、朝家を出て職安に行ったけれどもなんだか目が滑ってしまい、だいたい職安に行ってきたなあくたびれたなあと思えるぐらいくたびれたところで出た。それでブックオフに行ったけれどそれも目線が滑ったので(ダグラス・アダムズの銀河ヒッチハイクガイドでしたが本が悪いわけではない)とりあえずケバブを食べた。お腹が埋まって落ち着いたら今度したいことがわからなくなってしまって、そのわからなさといったらそこに自分がいない時のようなわからなさだったので、所在なくセブンのイートインにただただ座っていた。人に会う約束の連絡をしたのはそのとき。

 人からはずいぶん早く既読がついて、そんで集合時刻が決まってみると、少し気持ちが向いてきて、それまでに少し頭に情報を入れようと思った。それで、図書館に行って佐藤雅彦の『四国はどこまで入れ換え可能か』を読んだ。活字で一敗したところなので、漫画で助かった。あとがきでこの本をめぐる空気感などが伝わってきてよかった。結婚式のやつと、指入ってるおばあちゃんシリーズが好きです。佐藤雅彦さんはざっくりいうと、錯覚、もっと広く言うと見えているものの差異を扱う作品が多いイメージがある。読み終わると狐につまされたような、頭の上にスチールウールみたいなもじゃもじゃが浮かびつつ、それがどうしてか気持ちがいい、という感触を持ち帰る。そこそこ活動歴の長い人なので、大きめの図書館に行けば一冊ぐらいある気がします。

 それでまあ、その後なんとなくスーパーのおそうざいをつまんでたら人が着いたということなので、合流し、そっくり展に行った。色々あって無料で見たのであれだが、何だか質の高いものと賑やかしの落差ギャップがすごかった。賑やかしは賑やかしで「ひょっとして、○○ってパチモンでいいのでは」と思わせてくれたりはするのだが。

 その後がタイトルの通りだが、なんか最近映画の感想をこまごまと言うと映画の感想で言わなかった分の面白さが失われるような気がしてしまい、結果的に人にただ『勝手にふるえてろ』見ろという形になった。無理と言われた。仕方ない。それから、人の元知ってる人の悪口だとか、最近勢いのある芸人の悪口だとか、そういうのを延々と話した。人の元知人の話はあれだが、最近勢いのある芸人の悪口はブログに書きはしないけれども直接会うか通話かツイキャスでもいいんですけど、話す気はあるので、聞きたければ連絡くださいという感じ。それで連絡来たことはないんだけど。あ、そんで帰った。


追記

展ですが、やっぱりかなりおすすめしない。

 早寝早起きをするようになってきて、一番早いときは0時半に目が覚めてそのまま起きていたりしていたんだけど、それでも相変わらずゲームをしていて気がついたら一日が終わっている。最近はPCに『Black Survival』を入れなおして遊んでいて、それで一日が終わる。『Black Survival』は面白いんだけど、なんかこう、ゲームの批評は本のそれよりはだるいなあという気持ちになっていて、そこまで語ろうという気になれない。なんか10人で武器とかを作りながらバトロワするゲーム。ブラウザゲームみたいなクリック式の操作なので反射神経とかは求められず、ひたすら判断力と運が試され、あとかなりの覚えゲーでもある。あと課金圧が全然ない。すごい。他にいくらでも語りようはあるけど、だるい。

 なんかこう、変な夢(https://twitter.com/tadashiri/status/1024788191822278656を見たり、『勝手にふるえてろ』を観たりしていると、こういうのに揺さぶられた気持ちで何かやっていくぞという気持ちにはなっていくし、そんなときにカクヨムのコンテストのメールなんかを見ちゃった日には、「おれはそこそこツイッターでフェミとかの論争を見てきたしそういうのにそれなりに自分の感覚的な立場もある」とかそういう自意識がもたげてくるのに合わせてすべてを終わらせたり始まったりする五万字を書いてみるかと思わないでもないんだけど書きたいことは相変わらずないのだった。そしてそろそろ出かけなければならないし、最近は八時ともなればもうちょいちょい眠い時間帯なのだった。いってきます

『玩具修理者』『酔歩する男』素人のブログ書評なんてネタバレあると思って読め

 相変わらず暇なので久々に図書館に行ってきて、そういえば読んでないなと思って小林泰三の『玩具修理者』を読んだんだけど、まあこれが面白かったので、感想を書きます。手元に本があるわけじゃないので、こまかい部分が間違っているということは結構あると思います。

 ところで、僕はわりと忘れっぽいというか、脳がくさってるんじゃないかというところがあり、例えば寝起きに電気をつけようとしてテレビのリモコンを握ったり、明日の天気を見たくてiPhoneのホーム画面を開いたとこで目的を忘れ、なんとなく「何食べよう」とつぶやくことでようやっと目的を思い出して天気のアプリを開いたりとか、そういうことをするんですね。で、何の関係があるかっていうと、そういう、まあ僕はただ脳がくさってるだけなんだけど、『玩具修理者』『酔歩する男』も、脳がくさっていく作品というか、自分がありえないものとつながってしまったり、自分と自分がつながらなくなってしまったりする。

 『玩具修理者』は冒頭からなにかひどく唐突に世界に降ろされたような、説明書もオープニングムービーも読み飛ばしてしまったゲームで遊びはじめる時のような心細さがあり(ちなみにこういう始まり方をして似たような構成をした小林泰三の小説を他にも一遍読んだことがある)、誰なのかよくわからない女(主人公、つまり自分自身がそうであるのと同様に)の体験した出来事の顛末を聞くことになる。その語りの中の風景、人物のなんともいえない嫌な現代日本感というか、近隣住民、子供、肉親にいたるまでどうにも虫か何かのように意思の疎通が難しく思えるようなフィルターのかかった世界観がもうすごい嫌で、それがもうたまらない。その不気味な記憶の中の世界が事件の発生によって、それ以前と地続きの質感を持ったまま尋常ならざるものとなっていくさまが鮮やかだし、”玩具修理者”が登場するシーンが物語上恐怖と安堵の両方に振れていて、なんともいやらしい。結末の理屈っぽいわりにやっぱり自己の連続性が不確かで、そもそものおかしさみたいなものを残したままでいる感じもよかった。

 『酔歩する男』は、カップリングに見せかけてこっちがメインだと思うんだけども、なんともいえない酩酊感がちょっともう、僕の浅い読書体験では前例が浮かばないくらいよかった。主人公とそれに声をかけてきた男、それが「あなた」「わたし」で表記され続けることで、なんだかわからなくなってくるのが、この時期熱中症かと思うような気持ち悪さがある。また固有名詞のいちいち発音の不気味なことであったり、発端となる出来事が起こる時の、「え、そういう話する?」的キチめんどくせえやり取りのつるべ打ち、そこから始まるまさに悪夢のような展開、その悪夢に対してすら登場人物たちが”生活”と表現してしまうことが余計にしんどかったりして、もうとにかくすごいおもしろい。ずっと気持ち悪くて不気味なのに「二人の男が女の子に呼び出された理由を推測して話し合う」シーンがめちゃくちゃバカみたいだったりするのもいい。結末もしんどいだけでなく蠱惑的なところに落としてくる辺りも好み。活字を読んでるとどこまで読んだのかわからなくなったり、よく玄関を施錠せず寝てしまったりする人におすすめ。

いちいち生きていることにタイトルが要るのか

 なんか乃木坂やあるいはそういった坂類の番組を垂れ流しながらハースストーンをしたりしていて、体はだるくないんだけど、どうにもぼーっとしてしまってしょうがなく、そのせいでこの時間までシャワーも浴びそこねてしまった。だったらブログ書いてないでシャワー浴びてこいよって話なんだけど、シャワーは義務であって生産的行為ではないみたいな感覚があるので、寝を後ろに倒せばどうとでもなるというか。別にそれですごい漫然と過ごしてしまったことの元が取れるわけではないのだが、書けるときに書いておくのがいいなと思ってノパソを開くなどした。

 そしたらテレビの方ではなんか女の子がバンジージャンプしながら号泣しはじめたので、うわこういうのまだやってんのかと思ったけど、なんか消したりつけたりするのだるいなって思ったので、そのままにしておいた。ツイッターを見たらこっちもなんかだるい話題が流れていて、ああぼくは今そもそも人間について考えたり見たりするのがだるいんだなと思った。ていうか、労働をしてしんどい思いをすると他者に敏感になるという感覚があるので、そうなっていない今かわいい女の子をテレビ越しに見ても、なんかすっごいおれと関係ないなって思う。関係のある女の子と関係を持ちたい、そういう意味で言ったのではないが、いつでも漠然とそう思っているような気がする。

 恋人というものに対してただ恋人というだけではなく人生のターニングポイント的な役割すら期待してしまうとまでは言わないけど、恋人を求めている時は普通恋人のいる生活を期待しているといった方がわかりやすいと思う。

 というか、セックスする知人だったらそれは特にというか、別に知人とでもしたいんだけどしたいなーと思いつつなんかすごいどうでもよかったりする。あと恋人よりは全然ベーシックインカムとかのがほしい。そもそもお金が今ぐらいなくて恋人がいるって状況、普通に想像しづらくはあるんだけど。でもそういえばまともに労働もやっていて、彼女もいて、みたいな経験、全然ないな。大学の頃に付き合った彼女はお金借りたまま音信不通になったしな。ある時期からほとんど大学にもいかなかったし、特段会おうともしなかったけど。

 あらためて貧すれば鈍するってほんとだなーと思うけども、働いてたから幸せだったことは別にないし、そもそも幸福感が持続するタイプではないんだろうし、あんまりやるぞーとは思えない。年々食ったり飲んだりしまくった翌朝のコンディションが悪くなっているのだけはやだなーと思う。あと勃起のしやすさも落ちてきている気がする。それはまあ別にいいや、いいのか?まあ寝る。でもシャワー浴びなきゃ。