tadashiriの日記(仮)

つらそうにしている、人

『花束みたいな恋をした』を観たり

 今日は、といっても厳密には昨日だが(この注釈をされた文章はてなブログから吸い出したら膨大な量になったりしそう)、父と味の素がバキッと効いた町中華を食べ(もたれなくていい店だった)『花束みたいな恋をした』を観て、感想を言い合いながら流れでカラオケに入って、牛タンを食べてから、改札の前で少し話して帰った。寝る時間がでたらめなので、ずうっと寝不足の疲れがあって、帰ってきてどうにかシャワー浴びて、しばらく蒲団でぼーっとして、隣の部屋の母(たまたま帰ってきている日だった)にだけ配慮をして必要に迫られた、ちっとも喜ばしくない自己処理をして、そりゃ寝れるに決まっているだろう、と思いながら寝て、その四時間後に目が覚めた。寝る前から全身筋肉痛のような疲れが残っていて、眠さだけなんとなく消えてしまった。またしても自律神経の問題なんだろうな、とあきらめのように思う。

 『花束みたいな恋をした』よかったと思う。何かを言いたいが、言語化が追いつかない。ほとんど箇条書きみたいな感想を書くことになるだろうし、今日みたいな体調の時はスイッチの切り方がわからないのか頭だけは明瞭で(発達したのか?とすら思うが一過性のものだと思う)、ぐちゃぐちゃと自分にしかわからない冗談を書きなぐることがむしろできない。

Twitterみたいな映画だな、と思ったり、押井守とかきのこ帝国で笑い転げそうになるのを我慢したりした。同棲しているところが、なんかシットコムみたいな部屋だな(ちっとも住みたくないな)、とかも思った。ずっと白々しいカリカチュアが緩急ありつつも張り巡らされていて、表向きにはすごく「寓話的でしょう?」と言ってくる(そして寓話的であることにふいに細かい楔が打たれ、それでもあまり、打破されない)映画だった。なんだか「感情を込めないで歌った方が聞き手が泣く」みたいなことだなーと思いながら、クライマックスでは自分の恋愛を思い出してちゃんと泣いた。(最近Amazon Musicでジル・ド・レェを見つけた時、元恋人との会話に出てきたような気がして、久々に話したくなったな、とか思った)(でも、その時も聞き流してしまっていたんだろうけど)(眠いなあ)(ほかにもいろいろと書くことがある日だったけど)(でも、眠いなあ)寝る。