tadashiriの日記(仮)

つらそうにしている、人

中指は起点である

殴り合いのではない。僕のいい加減なタイピングの、である。僕含め、どこかで習ったわけではなく何となくでキーボードを打つ人間は、人差し指で押せばよいものをわざわざ中指で押したりする、単によく動く指で大半を賄ってしまう。それなのに、昨日色々あって両中指にあかぎれができた。その状態で何かを書こうとすると、あざやかに痛くて、何を書こうとしたか忘れる。

だからひどい内容になりますよ、とでも言いたげな書きぶりになってしまったが、これを読んでいる人のなかで、内容のひどさを気にする人はほぼいないだろうし、気にされて胸を張れるようなものを書いたこともあまりない。であれば、こういった前置きから文章を書き始めるのは無駄なことのような気がするが、注意深い読者がいない以上、無駄なことをいくらでも書いていいということでもある。

その手始めに「リバあり、オメガバースあり、攻め複根(フラクタル型)注意」などと無闇に注意書きしてみてもいいが、読み手が自分のパソコンを石油ストーブで焼こうが、ディスプレイ上にペニスがロマネスコ状になった男性が炙り出てくることはないし、そういった”ない地雷”についてのアイデアを練っていたら気分が悪くなってきた。

結局のところ、僕は散文を書く際に「何をやっているんだろう」と思わないと書き始められないたちであるという、ただそれだけのことだ。許してほしい。

 

用事で昼過ぎに出かけ、別段苦労のある用事でないのもあって、帰り道何となく繁華街を通り、まんまと酒を飲んでしまう。日々そうやって、踊らされると踊るの間で生きている。生きていると(酒を飲むのをそのように書いてしまったら終わりである)色々なことがある。自分の親ぐらいの歳の男に、装甲騎兵ボトムズ』や『機動戦士ガンダムSEEDについて管をまかれるとか。

自虐を交えてされる長話を楽しみつつも辟易し、若輩なりにですがなどとはにかんで無知をごまかしていると、グラスの中身は減らず、灰皿の中身だけが積もっていく。こういった人を嫌いではないけれどと思いつつ、段々気がそぞろになる。「俺もいずれこうなる」そう思ったら、ようやっとグラスを傾ける。ふいに現れた不安を酒で散らす、散らないし、どちらかというと「ここで不安になったら面白いのではないか」と思っている、一種のプレイだ。ただ、未来は不安ではないと言い切ったところで、それは祈りにもならない。鬼は笑わない、黙ってこちらを見ている。

プレイ、演技、気取り、かぶれ、そういうものについて考えていて、思い出したことだ。『無能の人のどれかに「私小説作家の生活演技」とかいう言葉が出てきたのを読んだことがある。すごい言葉だ、書き手が無意味にふて腐れるためだけに生じた言葉のような感じがする。「結局ワンチャン狙い」「承認欲求の強いオタク」より空虚な感じがする。よくこんな空虚な言葉を昔の人は思いつくものだと思う(きみは因果関係が逆だメーン、とD.O.が言うところを思い浮かべる。サイコロを一つ振って、出た目の半分の気力点を減らせ)。

こういう日を何もなかった日と言ってもいいが、そうすると何も書くことなどなくなってしまう。再度の願いになるが、無力を許してほしい。僕はもう許したから。

 

※あとで読んだが良くなかったので、12月21日に加筆修正をしました。